墓じまいを考え始めたとき、
「ご先祖に申し訳ない」そんな気持ちを抱く方は少なくありません。
お墓を守っていく人がいない。
遠方に住んでいて、なかなか墓参りに行けない。
子どもたちに負担を残したくない。
自分の代で整理しておきたい。
頭では、
「墓じまいした方がいい」
と分かっている。
それでも心のどこかで、
「お墓をなくすということは、ご先祖をないがしろにすることではないのか」
という思いが残ることがあります。
けれど、私たちはこう考えています。
墓じまいは、先祖との「関係じまい」ではありません。
お墓という「場所」を手放すことと、
先祖との「つながり」を手放すことは、
同じことではないからです。
墓じまいをすると、先祖に申し訳ないのでしょうか?
墓じまいを考えている方から、
「ご先祖に申し訳なくて……」
という言葉を聞くことがあります。
でも、本当に先祖のことをどうでもいいと思っているなら、
そもそも「申し訳ない」という気持ちは生まれないのではないでしょうか。
その気持ちの奥には、
「できることなら、ご先祖を大切にしたい」
という思いがあります。
だから、その罪悪感を無理に消す必要はありません。むしろ、
「私は、先祖との関係をこれからどうしていきたいのだろう」
と考える入口にしてもいいのです。
墓じまいを、「供養の終わり」ではなく、
「これからの供養を考え直すきっかけ」
にするという考え方です。
お墓は、先祖そのものではありません
私たちは長い間、
お墓を守ることと、
先祖を大切にすることを、
ほとんど同じ意味として捉えてきました。
もちろん、お墓には大切な役割があります。
お墓が果たしてきた役割
お墓は、
・亡くなった人を偲ぶ場所
・家族が集まる場所
・先祖とのつながりを感じる場所
・家系の歴史を次世代へ伝える場所
として、大切に受け継がれてきました。
だから、お墓を守る文化そのものを否定する必要はありません。
しかし、家族を取り巻く環境は大きく変わっています。
家族が同じ土地に住み続けるとは限りません。
子や孫が県外や海外へ移ることも珍しくありません。
少子化によって、お墓を継ぐ人そのものがいない家庭も増えています。
墓を守れないことと、先祖を大切にしないことは別
時代や家族の事情によって、
お墓を維持することが難しくなる場合があります。
だからといって、
墓を維持できなくなったことが、
先祖を大切にしなくなったことに
なるわけではありません。
大切なのは「墓を残せるかどうか」だけではなく、
先祖との関係を、これからどう残していくか
ではないでしょうか。
墓がなくなったら、供養はできないのでしょうか?
墓じまいをすると、
「お墓がなくなったら、どこで供養すればいいのだろう」
と不安になる方もいます。
しかし、供養はお墓の前でしかできないものではありません。
亡くなった親を思い出す。
写真に話しかける。
好きだったものを供える。
家族に先祖の話をする。
人生の節目を報告する。
「ありがとう」と伝える。
こうしたことも、亡くなった人との関係を大切にする行為です。
そして私たちは、そこからさらに一歩進めて考えています。
先祖には「ありがとう」だけでなく「助けて」と言ってもいい
一般的に「供養」というと、
生きている私たちが亡くなった人に何かを「してあげる」
という方向を思い浮かべます。
お墓を掃除する。
お花を供える。
お線香をあげる。
手を合わせる。
もちろん、それも大切な供養です。
でも、親が生きていた頃はどうだったでしょうか。
困ったときには相談した。
励ましてもらった。
叱ってもらった。
助けてもらった。
親子とは、
一方的に何かを「してあげる」関係ではなかったはずです。
ならば亡くなった瞬間から、
その関係を一方通行にしなくてもいいのではないでしょうか。
先祖に「ありがとう」と伝える。
そして時には、「助けて」と伝える。
「いま、こんなことで悩んでいます」
「力を貸してください」
「今日はこんなことがありました」
と話しかける。
私たちは、
「供養する」を、「共に生きる」へ
という先祖供養のあり方を考えています。
墓じまいをしても、先祖との関係は続けられる
お墓という場所がなくなっても、
先祖へ語りかけることはできます。
「今日、こんなことがあったよ」
「いま、こんなことで悩んでいる」
「力を貸してほしい」
「ありがとう」
そして自分自身が、先祖から受け取った命をどう使うのかを考える。
それもまた、大切な先祖供養ではないでしょうか。
最高の先祖供養は、自分の人生を生き切ること
先祖のために、自分の人生を犠牲にする必要はありません。
そうではなく、
先祖から受け取った命を、悔いなく生き切る。
やりたいことをやる。
愛したい人を愛する。
自分だからできることをやる。
そして人生の最後に、
「この人生でよかった」と言える。
それを見た先祖は、果たして悲しむでしょうか。
私たちは、
自分自身が人生を生き切ることもまた、大切な先祖供養
だと考えています。
先祖の無念を、ギフトに。
先祖の人生にも、
果たせなかったことがあったかもしれません。
もっと生きたかった。
家族に伝えたかったことがあった。
挑戦したかった。
愛したかった。
守りたかった。
そうした「無念」があったとしても、
子孫がそれを重荷として背負い続ける必要はありません。
無念を「背負う」のではなく「受け取る」
先祖の無念を、
なかったことにする必要はありません。
無理に美談へ変える必要もありません。
大切なのは、その出来事から何を受け取り、
今を生きる自分がどう生きるのかを選ぶことです。
たとえば、
「先祖が果たせなかったのなら、私は自分の人生を悔いなく生きよう」
と決める。
無念を、罪悪感や重荷として受け継ぐのではなく、
自分の人生を深く生きるための力へ変えていく。
私たちは、この考え方を、
「先祖の無念を、ギフトに」
という言葉で表しています。
私たちも、いつか誰かのご先祖になります
先祖供養を考えるとき、私たちはどうしても、
「昔の人をどう供養するか」という視点になります。
しかし未来から見れば、
今を生きている私たち自身も、いつか先祖になります。
そうだとしたら、どんな先祖になりたいでしょうか。
「私の墓を守りなさい」
「ちゃんと供養しなさい」
と、子孫に義務を残す先祖でしょうか。
それとも、
「私を力にして、あなたの人生を思い切り生きなさい」
と言える先祖でしょうか。
私たちは後者でありたい。
だからこそ、今の自分がこの人生を生き切る。
そこまで含めて、先祖供養なのだと考えています。
墓じまいを、供養の終わりにしない
墓じまいには、
改葬手続きや遺骨の移転、寺院や霊園との調整など、
現実的に考えなければならないことがあります。
しかし、手続きを終えただけでは、
心の中に残るものもあります。
「ご先祖に申し訳ない」
「これで本当によかったのだろうか」
「親に怒られないだろうか」
「先祖とのつながりまでなくなってしまう気がする」
そんな気持ちがあるなら、墓じまいを、
先祖との関係を終える出来事
にしなくてもいいのです。
むしろ、これまでの供養を一度見直し、
自分たちなりの新しい先祖との関係を始めるきっかけ
にすることもできます。
墓を手放しても感謝は手放さなくていい。
先祖とのつながりも、手放さなくていい。
そして何より、先祖から受け取った命を、
自分らしく使い切っていいのです。
墓を守る文化から、つながりを守る文化へ
私たちは、新しい先祖供養のあり方として、
「御祖祭(みおやまつり)」
という取り組みを始めています。
御祖祭が目指しているのは、
先祖に何かをしてあげるだけの供養ではありません。
先祖と語り、
時には助けを求め、
その存在を力にしながら、
今を生きている自分自身が、人生を悔いなく生き切る。
そんな、先祖と子孫が「共に生きる」供養です。
墓じまいは「新しい供養の始まり」にできる
もし今、墓じまいを考えながら、
「ご先祖に申し訳ない」という気持ちが残っているなら、
その気持ちを無理に消そうとしなくても構いません。
まず、「これから先祖と、どんな関係でいたいのか」
そこから考えてみてはいかがでしょうか。
墓じまいは、先祖との「関係じまい」ではありません。
むしろ、新しい供養の始まりにすることができます。
これからの供養について、一緒に考えてみませんか
墓じまいを考えている。
親孝行への後悔が残っている。
亡くなった親や先祖との関係を、もう一度考えたい。
これからの人生を、もっと悔いなく生きたい。
そんな方へ、
御祖祭では、
「先祖との関係」と「今を生きる自分」
の両方から、これからの供養を考えています。
何を相談すればいいのか分からない段階でも構いません。
まずは今、
一番気になっていることをお聞かせください。
まだ、間に合う。
親との関係も。
先祖との関係も。
自分自身との関係も。
今から、結び直す。
御祖祭(みおやまつり)

